大阪地方裁判所 昭和41年(わ)5162号 判決
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〔判決理由〕本件公訴事実は、
「被告人は自己と交際していた吉良ヒロ子が西川俊夫と交際していることを知るや、これを嫉み、氏名不詳者二名位と共謀の上、
第一、昭和四一年五月三〇日頃大阪府布施市寺前町三番地の右西川の勤務先旭光製絲株式会社社長平田政次郎方に架電し、同人に対し「西川を辞めさせろ、辞めさせなかつたら爆弾を手に入れてお前の家に放り込む、覚悟しとれ。」と申向けて同人及びその親族の生命身体等に危害を加えかねない旨告知して脅迫し、
第二、同年一一月一三日頃前記平田政次郎方に架電し、同人に対し「お前の娘をひどい目に会わせてやる」と申向け、同人の親族の生命、身体等に危害を加えかねない旨告知して脅迫し
たものである。」
というのである。
そこで検討するに、右公訴事実記載の各日時、場所において、平田政次郎に対し、右公訴事実記載の言葉が電話によつて伝えられたことは、<証拠>によつて認められるのであるが、右言葉の主が被告人であることを認定するに足る証拠はなく、かえつて、昭和四一年七月から同年八月までの間に平田政次郎方および西川俊夫方にかけられた電話のうち、録音テープに保存された前後三回の送話者の声がいずれも同一の音声である反面、右音声が被告人の音声と異つていることは、<証拠>によつて認められるところ、前記認定の本件公訴事実にある二回の電話(以下「本件脅迫電話」という。)は、右録音テープに保存された前後三回の電話とともに、昭和四〇年五月頃から同四一年一一月下旬頃までの間に平田政次郎方、西川俊夫方、西川俊夫の勤務先等へ断続して繁くかけられた西川俊夫の家庭外の女性関係を問題とする一連のいわゆる怪電話の一部をなしているものと認められるところよりすると、本件脅迫電話は、右録音テープに保存された三回の電話と同様、被告人以外の者からかけられたものとみるのがほぼ確かであるということができる。
よつて、以下本件脅迫電話の送話者と被告人との共謀関係の有無について検討する。
<証拠>によると、次の1ないし9の各事実が認められる。
1 西川俊夫(大正六年生)は、昭和二二年から平田政次郎が社長に就任している旭光製絲株式会社(従業員約七〇名)に勤務し、同四一年一月から庶務、会計課長の地位にある者であるが、同三七、八年頃大阪市西区の九条新地内でセット制により客を接待する料亭「新マルニ」のホステス吉良ヒロ子(昭和一〇年生)と知り合い、以後そのなじみの客となつたこと。
2 被告人(昭和一三年生)は、親もとを離れ、堺市に居住する左官職人であるが、同三八年末頃右吉良ヒロ子の客となつて同女と知り合い、同女と結婚することを強く望むようになり、その歓心を買うことに努めていたこと。
3 吉良ヒロ子は、同四〇年三月子宮外妊娠の手術のため二〇日足らずの間阪大病院に入院したことがあつたところ、同女の病床でこれを見舞つた被告人と西川俊夫が二度鉢合せになり、同女は、被告人の問に対し、右西川を自分のところへよく来てくれる客として説明したこと。
4 (1)同年五月二五日頃前記勤務会社にいる西川俊夫に対し、「女遊びをしていますね。遊びをやめませんか。」という趣旨の電話がかかり、西川が遊びをやめる旨返答をしたところ、同年六月二〇日頃まで、五日ないし七日おきに右約束を守るよう念を押す電話が続き、若干の時期をおいて、さらに同年八月初め頃から前同様の間隔で電話が続き、西川が右約束に背いたことをなじる内容で同年一〇月頃に至り、(2)東大阪市寺前町三番地の平田政次郎の自宅へは、同年一〇月頃、「西川が女遊びをしている。そのことで話をしたい。」との最初の電話があり、その後ほぼ一週間に一回の割で、西川俊夫の女性関係をいう内容の電話が続き、同四一年一一月中旬に及び、(3)大阪市旭区森小路六丁目一二番地の西川俊夫の自宅へは、同四一年八月初め頃同人の妻茂子に対し、「お宅の主人は、女遊びをしている。そのことを知つているか。」との内容の最初の電話がかかり、その後一週間に一回、多い時は二ないし三回の割合で続き、同月末まで続き、(4)同四一年八月末頃前記「新マルニ」の吉良ヒロ子に対し、「同女、被告人、西川俊夫の三者のことと西川の妻のことを知りたい。」との内容の電話がかかり、(5)以上の各電話の送話者は、右(1)ないし(3)については、当初から「キタミ」と名乗る男声の持主であり、他の者からの依頼によつて電話をしている旨を語り、(2)、(3)については、終りの時期になり、別の姓を名乗るとともに、当初の声とは異別に感得される男声に変り、(4)については、私立探偵社の者と自称する者であつたこと。
5 同四一年八月三一日頃西川俊夫方へかかつた電話で、送話者は、興信所の者と名乗り、応待に出た西川茂子に対し、「洲崎とヒロ子さんとお宅の主人の間が三角関係になつているから調べさせてもらつた。」旨を告げたところから、西川俊夫は、前記一連の怪電話に洲﨑なる者が関係していると考え、吉良ヒロ子に照会して、被告人の存在を知り、この三者が集つて右怪電話問題の相談をしようとして、同女を通じて被告人に会見を申し込んだのに対し、被告人は、自分は右電話に関係がないと主張して、これを拒否していたが、後これに応じ、同年九月一七日同女のアパートで右三者が集り、その席上、西川は、被告人に対し右怪電話に名前が出た者の一人として、問題の解決に協力してくれるよう依頼したこと。
6 前記三者会合の翌一八日西川俊夫方へ電話があり、その応待に出た同人の妻茂子に対し、送話者は、被告人の友人と名乗り、自分が被告人と吉良ヒロ子とを結婚させてやりたかつたため、独断で、今までの電話をかけた旨語つたこと。
7 その翌一九日、被告人は、前夜自分のアパートに届けられた手紙であると言つて、一通の宛名、署名のない、郵便官署を経由しない封書を持参し、吉良ヒロ子の案内で西川俊夫方を訪ね、「電話は、自分が勝手に、お前のためを思つてしたことである。お前の知らん事であるのに、自分とぐるになつてしたと思われ、お前に迷惑がかかるだろう。先方に会うときは、この手紙を見せても良い。自分は姿をかくしているから、探しても無駄である。」等電話問題につき被告人に責任がないことをくり返えし強調した右封書の文面を西川夫妻に披露したが、その帰途、吉良ヒロ子とともに立ち寄つた喫茶店内で、同女に対し、今までの電話は、自分がした旨告白したこと。
8 被告人は、その翌二〇日右西川俊夫方へ、自己の姓を名乗つて電話をかけ、同人の妻茂子に対し、今までの電話は自分がかけたものであると言つて詑び、その後同女に対し、度々電話をかけて吉良ヒロ子との間のとりなしを依頼したこと。
9 西川俊夫方への前記怪電話は、同四一年九月に入つて止み、平田政次郎方への前記怪電話も同年一一月二四日被告人が逮捕された時点以後にかかつたものがないこと。
右の各事実およびその推移状況を総合して考えると、右一連の怪電話は、被告人と密接な関係に立つ二名前後の者が、被告人の側に立ち、被告人が思いを寄せる吉良ヒロ子から同女のなじみ客である西川俊夫に手をひかせようと企図してなした工作であることおよびこの工作の立案と実行については、細部、末端にわたる点はともかく、その大筋のところにおいては、被告人が積極的に関与していたものと優に断定することができる。
しかして、前掲各証拠により検討すると、右怪電話の内容は、本件脅迫電話の二回の分および右二回の分のうち前の分と同様爆弾投入をいう別の一回の電話(これがあつたことは、<証拠>により認められ、その時期は、<証拠>により昭和四一年五月一三日と認められる。)の分を除くと、いずれも当初西川俊夫の家庭外の女性関係の存在をいうにとどまり、これにより当の西川俊夫本人の反省あるいは同人に影響力を持つ雇主ないし配偶者からの控制に期待して、所期の目的を実現しようとしていたものが、容易にその効果が挙らないのをみて、架電を反覆し、かつ長時間にわたつて通話を行い、これによつて相手を当惑させようと図り、時には思わせぶりな表現を用いて相手に不安を与えようとし、さらにはより明確に右西川俊夫の女性関係の公表なり、前記旭光製絲株式会社の営業妨害等を言うことにより、相手の心理をさらに強く圧迫しようとしたものと認められる余地が多分にあるけれども、右のうち最後のような内容の通話が全体の中でどの程度の重みを持つていたものであるかを判定することは困難で、あるいは長期間にわたつて反覆され、その都度長時間に及んだ通話中における言葉のあやではないかとみられるふしがないわけではなく、全体としては、相手に当惑、不安の念を与えるにとどまるいやがらせの電話の域を出なかつたものではないかとの疑念を拭い去ることができない。この疑念は、とくに平田政次郎および西川俊夫の両名との間の通話につき、平田政次郎が昭和四〇年一〇月頃から毎週反覆して長時間かけられる怪電話に応待しながら、知己が最寄りの警察署に勤務しているにもかかわらず、これに相談することなく経過して翌四一年五月に至つていることおよび西川俊夫が同人に怪電話がかけられるようになつてから久しい間、これが自己の女性関係に気付いた妻茂子の仕組んだ芝居ではないかと疑つていたことからも生ずるのである。
ところで、本件脅迫電話および前記別の一回の電話が右のような一連の怪電話とかけ離れ、これと対照的なものであつたことは、その言葉内容自体から明らかであるのみならず、送話者の通話態度の威圧的であつた点においても特異なものがあつたことは、<証拠>によつて認められるところであり、したがつて、前記一連の怪電話が被告人の諒解下に架電されたものと認められるとしても、このことから直ちに右被告人の架電諒解範囲内に右のように特異な本件脅迫電話の内容までが含まれていたものと推断することは危険であり、前記認定の各事情に徴すると、被告人からいやがらせの電話をかけることを依頼された者が、勝手に、本件脅迫電話にある激越な言葉を使用したものと考えられる余地がかなりあることを認めざるをえないのである(もつとも、被告人が昭和四一年八月末怪電話についての自己の責任を認めたことは、前判示7、8のとおりであるけれども、当時被告人が右怪電話中に本件脅迫電話中の前の分にあるような内容のものが含まれていたことを知つていた事実はもとより、前記一連の怪電話の内容を、通じて、知つていたことを認めるに足る証拠はない。)。このことと本件脅迫電話のうちの後の分につき右電話のなされた時期が、前判示のとおり、被告人において西川俊夫とその妻に対し架電の事情を告白して陳謝し、すでに同人らに対して従前の内容の電話がかけられることがなくなつていた段階であることを併せると、本件脅迫電話のうちの後の分は、同年九月以後平田政次郎にかけられた怪電話とともに、全く被告人の意思に基づかないものであると考えられる余地すらかなりあることを認めざるをえないのである。
以上により本件が被告人と他の者による共同犯行ではないかと疑わせる証拠はないではないが、なお無視しがたい疑問があり、これを解消するに足りるだけの証拠は存せず、結局本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰する。(井上清)